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浄土真宗本願寺派法性山善徳寺(ほっしょうざんぜんとくじ)は、美濃国厚見郡革手村(現在岐阜市厚見西川手)に発祥しました。鎌倉時代前期の嘉禎元年(西暦1235年)、親鸞聖人が関東より帰洛の途上にこの地方に立ち寄られたさいに教化を受けた当地の門徒衆を河野門徒といいますが、『大谷遺跡録』巻4(明和8年(1771年)刊、真宗史料集成第8巻所収)によれば、当寺も河野門徒の流れを汲む寺院の一つとしてその名が記されています。 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5年(1600年)の翌年、慶長6年(1601年)に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、ほどなくして、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。寛文13年(1673年)には坊号を法性坊(あるいは法正坊)より改め、法性山善徳寺と公称することとなりました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。 第22世住職宗祥の代に至って、昭和3年(1928年)11月11日に火災に遭い、本堂・講堂等の大半を焼失しましたが、門信徒の方々の懇念と協力により昭和9年(1934年)には再建されました。その後門信徒の方々のさらなる護寺発展の懇念と協力により、第23世現住職祥心のもと、昭和45年(1970年)には鐘楼の再建を兼ねる新講堂が竣工し、また平成9年(1997)年4月20日には蓮如聖人500回御遠忌法要とともに本堂屋根葺き替えならびに庫裡改築完工の慶讃法要が営まれることとなりました。こうした歴史のあゆみの中で、伝道活動が続けられています。
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